朝夕の空気もそよぐ風も冷涼になり、青々とどこまでも澄んでいる空の一角を覆うようにうろこ雲が泳いでいる。
「ルビー、あのー‥‥」
赤や黄色に色づき始めた森の中、蚊の鳴くような声で切り出したのは、碧い瞳を不安そうに伏せたバンダナの少女。
「嫌だ、断る」
ルビー、と呼ばれた紅瞳の少年はにべもなく言って、首を振った。それに合わせて彼の頭を覆う特徴的な形の白い帽子も揺れる。
「‥‥分かっとうったい。こんな頼み事、あんたが聞いてくれんち‥‥。無理なのは分かっとって頼んどるとよ――って、まだ何も言っとらんと!」
肩をすくめたり前に乗り出したり、オーバーアクションで乗りツッコミを入れる少女。
「分かるよ。どうせボクが嫌うようなことなんだろ?サファイア」
うう、と少女が口をつぐむ。思いっきり図星らしい。どのみち、先ほどの言動で全てバレてしまっているが。
紅葉に染まり始めた森の少し開けた場所での休憩中、唐突に始まった会話だった。
「まあ、一応聞くよ。頼み事って?」
ルビーに促され、躊躇っていたサファイアはポツリポツリと喋りだした。普段の彼女からは想像もつかないほど小さな声で。
「‥‥今度、トクサネのジムリーダーさんと再戦することになったんよ。タッグバトルなんやけど‥‥うちと一緒にバトルしてくれん?」
「嫌だ、断る」
間髪入れず、さっきと全く同じ返答。サファイアの肩がさらに落ちた。
「なして〜?フウとランとはバトルしたことあるやん!」
「あれは緊急事態だったからやっただけだよ。それに、最近ポケモンたちのコンディションも良いんだ。バトルなんかして毛づやが悪くなったら、どうしてくれるんだよ」
矢継ぎ早にやり込めるルビーだったが、いつもとは違うサファイアの様子を可愛いと思ってしまっているのも事実だった。うつむき加減に言葉を紡ぐ彼女など、そうそう見られるものではない。
そんなサファイアを網膜に焼き付けるように見つめた後、ルビーは努めて重々しく口を開いた。
「そのバトル、いつやるのか決まってるの?」
「まだ。うちのタッグパートナーが決まってから連絡するって約束やったけ」
腰についているポケナビを示す。
「‥‥いいよ。パートナーになっても」
薄い笑みを浮かべて。
ルビーはさっきの返答をひっくり返した。
弾かれたようにサファイアが顔を上げる。声が喉を通るより早くルビーが二の句を次いだ。
「ただし!ボクの頼みも聞いてもらうよ」
「あんたの‥‥‥‥頼み?」
サファイアの表情がさっと曇る。
交換条件、ギブアンドテイクが僅かでも不満だったのか。
あるいは――嫌な予感がしたのか。
ルビーはバッグから手紙のようなものを取り出した。真っ白な封筒に、コンテストリボンの形のシールで封がしてある。
「この前師匠に会ったときに貰ったんだけど、ミナモシティが街をあげてハロウィンのイベントをやるんだって。その一環でコンテストバトルのエキシビションマッチがあるんだけど、ボクは招待選手に選ばれたんだ」
「えきしび‥‥‥‥?」
「模範試合ってことさ」
封筒に入っていたのはその招待状だった、ということだ。
サファイアとの競争でポケモンコンテストに挑んでいた彼だが、その実績が認められてこの度選手になったらしい。
「で、バトルなんだけど。シングルバトル部門とタッグバトル部門があるんだ。ボクはシングルに出ようと思ってたんだけど、君に参加してもらってタッグで出るのも面白そうなんだよね。
ボクとコンテストバトルに出てくれないかな?そしたら君の頼みも、聞いてあげるよ」
「‥‥‥‥」
サファイアは沈黙した。
以前の彼女は、コンテストなんて女々しい、面白くもなんともないと思っていた。
しかしルビーと出会い、80日間の競争をして‥‥そしてルビーを好きになってから、コンテストに対する見方が変わった。
好きな人が好きなものは好きになる、という。口ではコンテストに対する批判を並べていたが、内心はコンテストも悪くないと思えるようになったのだ。
「コンテストなんか全然燃えんし面白くなさそうやけど、うちのバトルのためやけ仕方ないったい」
「‥‥じゃあ参加してくれるんだね?」
「勘違いせんと、うちのバトルのためやけね!仕方なくったい!」
大声で言い散らすが、叫べば叫ぶほど虚勢になるのを彼女は気づいていない。
「ありがとう、サファイア。このイベント出るの実はあんまり乗り気じゃなかったんだけど‥‥君と参加できるなら、楽しくなりそうだよ」
「え‥‥‥‥」
ルビーは事も無げに言って、出発のためかバッグを漁り始めた。
サファイアは金縛りにあったかのように固まっている。心臓がとくんと跳ねて、鼓動が耳の内側で微かに響いた。
さりげなく礼を述べられた照れくささと‥‥‥‥ふとした笑顔がもたらしたときめきと。
頑なに通していた意地が鼓動に揺さぶられる。埋もれていた透明な気持ちが、顔を覗かせる。
(本当は、フウとランともまだ何も話しとらんと。あんたと、またバトルしたかっただけなんよ。コンテストでも何でも、またあんたと2人でバトルが出来るのが嬉しいし‥‥‥‥あんたが喜んでくれるのが、一番嬉しい)
「ルビー‥‥‥‥」
小さな声で、呼びかけた。
うまく口が動かなくて。
言葉も拙いかもしれないけれど。
素直なキモチを、ほんの少しでも伝えられたら――――
が。
開きかけたサファイアの唇は、そのままの形で止まってしまった。凍りついたかのように。
‥‥否、先刻まで浮き立っていた心が、恐るべきスピードで冷え切っていく。
サファイアの目の前には。
黒い布のようなものを、こちらに見せびらかすように広げているルビーの姿があった。
いや、それは布ではない。
それはまるで、まるで――――
「それ、何?」
「決まってるじゃないか、コスチュームだよ。ハロウィンだからね。やっぱり仮装は大事じゃないか。これ作るのはあんまり難しくなかったけど」
そう前置きして、衣装の解説を始めるルビー。
ちなみに満面笑顔。
「‥‥‥‥‥‥」
冷ややかな疲労がサファイアの体を包んでいく。
ルビーが持っている衣装は、夜闇のように真っ黒な布で作られていた。
ノースリーブで丈が短めのワンピースに、その上から羽織る前留めのマント。何より特徴的なのは、広いつばに円錐形のとんがりを持つ漆黒の帽子。
いわゆる、魔女の衣装だった。
「ねぇ‥‥それ、もしかして‥‥‥‥いや、もしかせんでも‥‥」
「君が着るんだよ?当たり前じゃないか」
予想していたなかでも最悪の答を、ルビーはさらりと言ってのけた。
ちなみに笑顔全開。
衣装をよくよく見てみると、マントにラメが施されていたり裾に星型ワッペンが付いていたり‥‥とそれなりに派手な出来になっている。
サファイアは軽い頭痛を覚えた。
「さて、そうと決まればミナモに急がなくちゃ。あんまり日にちもないし、ボクのコスチュームの材料も買わないといけないしね」
いそいそと衣装をしまい込み、今度こそ出発の準備を始める。
「行こう、サファイア」
すっくと立ち上がり手を差し出すルビー。
サファイアはそれを無視してのろのろと立つ。
諦めと微かな喜びの混ざった笑みを浮かべて。
「‥‥‥‥あんたのそういうトコも、好きなんやけどね」
「ん?何か言った?」
「何もないったい。急いどるんやろ、あんたも早う」
足早に歩を進める。
2人は並んで、木漏れ日の溢れる森の中を歩いていった。
-END-
ルサとなると、いつもコスプレネタになってしまうのは何故なのでしょうか;
またまたサファイアが犠牲になってしまいました。ごめんサファ。
余談ですが、ルビーのハロウィン仮装はグラエナ風狼男だったりします。
勿論彼の手作り。
コンテスト内容がアニメとごっちゃになってしまってますが、設定上の都合ということでお許しください;;
所謂「特別措置」というやつです。
初出 2007.12.21.