君の傍に






 ジリリリとけたたましく喚き散らす目覚まし時計を黙らせて、ハルカはベッドから上体を起こした。
 まだ重い瞼をこすりながら部屋を見回す。今の住居に移ってから1ヶ月、新たな住まいにもそろそろ慣れてきていた。
 大きな伸びをしてベッドの端から頭がはみ出る勢いで後ろ向きに倒れ込む。逆さまの世界の隅に、カーテンの閉まっていない窓が映った。向こう側の街並みは既に黄昏色に染まっている。
 ころりと寝返りをうつと、綺麗に整えられたもう一つのベッドが目に入った。
 目を瞑って耳をそばだてる。人の足音や気配は、無い。
 「シュウ、まだ帰ってないのかな……」
 虚しく響くハルカの独白が硬めのベッドに沈む。
 彼女の同居人――シュウは、今この家には居なかった。というのも彼は非常に有名なコーディネーターで、自身もコンテストに出場する傍ら番組などのコメンテーターとしても引っ張りだこだからだ。
 ハルカも彼と同じくコーディネーターだが、忙しさはシュウのほうが上で、彼が家を空けることのほうが多かった。
 シュウが仕事で出かけてから、今日で3日目。
 視線を落としてハルカは枕元の時計を見た。
 「夕方までには帰るって言ったくせに……」
 ぷぅと頬を膨らませながら、時計の隣に立ててある写真立てを人差し指で軽くつつく。透明のガラスを隔てて出会った頃の――もう何年前になるだろうか――シュウとハルカがこちらに笑いかけていた。


 ―――あの頃は、長い間会えないのが普通だったのに。たったの3日姿を見ないだけで、こんなに………


 賑やかなメロディが物思いに沈んでいたハルカを現実に呼び戻した。華やかな電子音を奏でているのは、ライトグリーンの"ポケモンウォッチ"――通称ポケッチ。
 シュウと一緒に暮らし始めた記念に買ったもので、彼は鮮やかな赤色のものを持っている。
 ハルカは"でんこうせっか"にも負けない早さで腕を伸ばしてポケッチを掴んだ。
 「はい、もしもし?」
 ポケッチに向かって、少し上ずった声で応答する。
 少し前に電話機能を持つアプリが一般の人向けにも発売されており、それを取り入れている人は増えつつあった。
 ハルカも、その一人である。
 「もしもしハルカ?僕だけど」
 機械越しに聞こえるのは、たった今考えていた人の声。
 「……シュウ!」
 思わずハルカの表情が綻んだ。声音も軽やかに弾む。
 「3日振りね。元気にしてる?」
 「おかげさまでね。しかし日数まで数えているなんて、君も生真面目になったね」
 「な……っ、なによ、その言い方〜!」
 顔を合わせていようがいまいが、いつものやり取りは少しも衰えていないようだ。
 出会った頃から、ずっと。
 「それとも……そんなに寂しいのかい?」
 シュウの声色には、今度は嫌味は一分も含まれていなかった。それが分かるから、ハルカの顔も少し紅潮してしまう。
 「そ、そんなことは………ある……かも…」
 口ごもりながら、けれどはっきりと、ハルカは答えた。
 出会ってからの数年間、互いを想う気持ちも、他愛ない言い合いも変わらないままだが、少しだけ変化したこともある。
 2人とも、あの頃と比べればほんの少しだけ互いに対して素直になれるようになった。
 「…ねぇ、今日も帰ってこれないの……?」
 まるで睦言のように言いながら、ハルカは家に普通の電話がないことに初めて感謝した。
 テレビ電話機能標準装備の普通の電話なら、今の彼女の紅に染まった面持ちまでもが相手に伝わってしまうから。
 「それが、ちょっと分からなくてね…」
 「今、どこ?」
 「移動中さ」
 耳をすますと、都会の喧騒が微かに漏れ聞こえてくる。ハルカはシュウが次の仕事現場に向かっているのだと悟った。
 そして今夜もまた、シュウが帰ってこないだろうことも。
 ノイズに混じって、小さな嘆息があちらとこちらでシンクロした。
 「シュウ、次の仕事って何?」
 パラパラと紙をめくる音が彼女の問いに真っ先に答える。ポケッチのアプリにもスケジュール帳はあるのだが、シュウは革表紙の手帳を愛用していた。
 「……『月刊コーディネーター』の取材で、サオリさんとの対談インタビューだね」
 「……へー、そう…」
 意識したわけではないが、ハルカの言葉尻が僅かにとげとげしくなる。仄かにたぎってきた気持ちを体の最奥へ押しとどめ、ぶっきらぼうに言い放った。
 「なるべく早く、帰ってきてほしいかもっ」
 「ご心配なく」
 含み笑いのように、ノイズが揺れる。
 そのせいで高ぶった感情にさらに拍車がかかり、またもや乱暴な台詞がハルカの口から飛び出そうとして――――



 ピーンポーン、ピーンポーン



 部屋中に鳴り渡る玄関チャイムの音で、なんとか踏みとどまった。
 「ごめん、シュウ。誰か来たみたい」
 こんな時間に珍しいかも、と思いながらハルカは急ぎ足で玄関へと向かう。右手に、ライトグリーンのポケッチを握ったまま。



 ガチャリ。
 ドアを開いて。




 どなたですか、という言葉は、驚きと共に飲み込まれた。
 「な……どうして?」
 「心配要らないって、言っただろう?」
 目の前に立っていたのは、たった今まで機械越しに話していた彼――握り締めたポケッチと同じ色の髪の青年。
 さっきまで彼に言おうとしていた言葉が全て抜け落ちてしまって。代わりを求めて、頭の片隅が忙しなく空転する。
 「だってシュウ、今、次の仕事場に移動中だって……」
 それでもなんとか声を捻り出すと、シュウが唇の端だけで笑って、呆れるように肩をすくめた。
 「僕は『移動中』と言っただけだよ?……全く、長いこと付き合ってるのに君は少しも変わらないね」
 その皮肉めいた物言いは紛れも無くシュウのもので、ハルカは頬をつねろうと上げかけた手を後ろ側に回した。
 そして、昔と変わらないままなら隠し立てのために浴びせていた強がりをそっと制し、掌の機械を介しては決して伝えられない相好を―――心からの笑顔を、青年に向けた。
 「おかえり……シュウ」
 「……ただいま」
 一瞬だけ虚を衝かれたように翡翠色の瞳を見開き、しかしそれはすぐに柔和な微笑みへと変わる。


 程なくして、2人はどちらからともなく抱擁を交わした。
 空白だった僅かの時間を埋めるように。
 昔と比較すれば些細なはずの寂しさを中和するように。
 互いの体温を分かち合い、相手が傍らに存在することをしっかりと確かめ合う。
 温もりに包まれながら、ふいにハルカは小さな疑問が氷解するのを感じた。



 会うことすら時折だった昔よりも、シュウのことが恋しく感じられるのは……
 今ではシュウが傍にいることが、当たり前になったからなのかも。



 温かな思いと一緒に、腕の中に確として在る愛しいひとを、ぎゅっと抱きしめた。





- END -





あとがき

 久しぶりのシュウハルです。
 もともとバレンタインモノで書こうと思っていたのですが、うまくいかない&時間の関係で断念;;
 この話をお読みになって、「あれ?どっかで見たコトが……」と思われた方……あなたは鋭いですね。
 これは某CMをみて思いついたものなので。(汗)


 そしてやってしまいましたアプリ捏造。(笑)
 電話があってもおかしくないと思うんですけどね…。現にポケナビで通信できましたし、ポケギア(懐かしい…!)にはれっきとした電話機能がありましたし。


 話中の2人がただ同棲してるのか、それともその先にいるのかは……皆様のご想像にお任せしますv


初出 2007.2.27.







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